ゆらゆら ながれるように

毎日を楽しくすごくための心の整理

嘘をついてはいけないということ

嘘をついてはいけないと、子供の頃なら誰しも一度は言われたことがあるかと思う

 

子供の時、多分それなりに、怒られるのを避けるために嘘をついていたと思う

 

小学生のある時、宿題をやったのかと父親に問われた

やってなかったけど、遊びたかったので、やったと嘘をついた

そしたら、どこをやったのかと確認されてしまった

 

私はその展開を予想しておらず、バレてさらに怒られる想像がついた

頭の回転が速くないので、さらに嘘をつくことはできず、嘘だったと伝え、案の定怒られた

やっていないこと、嘘をついてはいけないこと

 

こんな些細な経験から、嘘は必ずバレると認識した

バレて困るような嘘はついてはいけない、嘘は絶対にダメなものだと思い込んでしまった

 

嘘とは何か

 

私はあまりお世辞とか、その場しのぎの会話が上手でない

思っていないことをうまく口に出せない

感情と違うことを発する行為が苦手で、何かしら顔に出てしまう気がする

 

そうやって、気持ちと反することを言うことが嘘のように思えることがあるし

やったことをやっていないと言うような、子供の頃のエピソードのようなことも嘘をつく行為だと思っている

 

その延長からなのか、なんなのか

聞かれていないことまで喋らないといけないような、包み隠さず言わないといけないような感覚も持っている

 

でも、この歳になって気付かされた

 

言わなくてもいいことはある

嘘が必要なときもある

相手が聞きたくない話だってある

お互いが気持ちよく過ごすために、何もかも話す必要はない

 

私は自己満足だったのかもしれない

馬鹿正直に生きることは、すごく生きにくい

 

嘘も方便

 

きっと生きかた上手は使いこなしてるんだろうな

 

幼少期からの刷り込み思い込みは、なかなか消えない

かつてはそういう人を否定していた

今は否定する気持ちはないけど、じゃあ自分がそういうふうに振る舞えるかといわれると難しい

 

もしかしたら、私は嘘がつけない性格です、というのを勝手に売りにしているのかもしれない

核に近い部分を変えることが怖いのかもしれない

結局は嘘が悪いという固定概念が外せていないのか

 

ほんとは嘘をつける人が羨ましい