ゆらゆら ながれるように

毎日を楽しくすごくための心の整理

夫婦は成長し合えた方が続くかも

今子供が面会で、元夫のところに泊まりに出ています

 

これも定例になったので慣れたと言えば慣れたのですが、今日は仕事で疲れて帰ってきて

自由な1人時間で満喫できるはずなのに

なんだか夜1人寂しいなぁ、とぽつり、思ってしまいました

 

元夫は毎日そんな日々を過ごして、もう慣れっこになったことでしょう

少し胸が痛くなりました

 

もとは1人だったのが、結婚して2人になって

子供ができて家族が増えて

初めからそうだったわけじゃないので

元の1人に戻ったと思えば、もっと言うと

なかったことだと思えばどうなるのかな、とも思いました

 

生まれた子供はなかったことにはならないし、そう思って欲しいわけでもないですが

 

時々思うことがって

それは、もしかしたら、また一緒に暮らせるか?ということです

もちろん相手に拒否権はあるし、調停や訴訟で散々嫌なことをぶつけ合ったので、今更という感じですが

 

離婚の調停や裁判は振り返れば辛かった

嫌なことを思い出して、悲しくなって泣いていた

ある意味悲劇のヒロインになったかのような気分で

 

そんなこともあったけど、私が子供だった部分もあるし、相手が子供だった部分もある

それを今ならダメだったなとわかるし、程よい距離で接せられるかもしれない

義両親にも気を遣わず嫌なことは嫌だと言い切れるし、元夫の顔色を伺うこともしないだろう

 

そう思えば、なんとなく、また暮らせるような気がしてくるのです

 

でも、それが楽しいかと言われるとわからない

こういう人だとわかっていたら結婚したかというと、してなかったような気がする

子供を授かったので結婚自体を否定したくはないけれど

 

結婚とは夫婦とは、とか考えるのです

終わったことなのに

未だに正解はわからないけど

ひとつ今日、ふと感じたことは

 

夫婦とは互いに成長し合うべきものなんじゃないかということ

 

私は別居して、離婚までの間に、おそらく離れているからこそ、色々な感情を体験して、相手の気持ちを考えたり、私自身の気持ちを考えたり

そんなことを繰り返して成長しました

だから、一緒に暮らせるかも、という感覚が芽生えてきたのだと

 

でも、本来は一緒に暮らしながら成長できたらよかった

それなら離れなかったはず

 

離れないと成長できなかったのは私の未熟さでもあるし、やっぱりずっと一緒にいる相手じゃなかったのかもしれない

 

気づけば、元旦那のことを心の中で敵だと思っていた

意見が合わなかった時、折れてくれない

私の気持ちをわかってくれない敵だと思っていた

 

敵になった人には気持ちを許せないし、どこかで相手に策略があるような気がして、感謝の気持ちもなくて

 

そんな風な人間像を作ってしまうと、成長どころか、なんであんたのために大人にならないとあかんのや、って気持ちになっていましたね

 

夫婦は多少喧嘩しても、心が魂が成長できる関係がいいのだと、今更感じているところです